ダ・ヴィンチのノート

lovesras4.exblog.jp

タグ:ルーツ ( 9 ) タグの人気記事

2015 夏の子連れ旅 北九州 三日目 求菩提から台風と帰京

2015 夏の子連れ旅 北九州 三日目。大型台風15号はとうとう九州に上陸。
a0119252_1782320.jpg


予定では山伏の修行の道をまわったり、曾祖父の茶室を見に行ったりするはずでしたが、この台風直撃の状況ではそれもかなわなそう、と、悔しがるジイジ(笑)
a0119252_17162816.jpg


この[卜仙の郷]も今日は台風のため臨時休館となったため、宿泊していたわたしたち一行の貸し切り状態に。
貸し切り状態で大喜びなのはうちの1号2号、小学生男子の兄弟だけで(笑)
なんと北九州空港から東京に帰る飛行機、チケットをとっていたJALは本日すべて欠航ということで、明日から仕事のあるオトナたちは帰りの足を確保するためにスマートフォンを駆使して電話をかけまくったり地図をみたり時刻表をしらべたりと大わらわだったのでした。
a0119252_17431419.jpg


この日の朝食には特別にプリンが!美味しかった!
a0119252_17433828.jpg


まだ帰りの足の確保できていなかったわたしたちに対してのさらなる旅館の方のご厚意で、わたしたち一行はチェックアウト後、昼食時間に特別にレストランをあけていただき、うどんやおそば、カレーなどを頼んでゆっくり出発できました。
北九州空港は全便欠航でしたが、福岡空港まで行けば、夜、八時半の便なら家族みんなで乗れる席を確保でき、北九州空港で借りたレンタカーも、数千円の乗り捨て料金をプラスすれば福岡空港前のタイムスで車を置いていけることがわかったので、ようやく一安心。
暴風雨の中、それでもあきらめきれないジイジ、なんとか曾祖父の茶室だけでも、と、
当のジイジと私の妹が車外にでて、散乱する木の枝や瓦礫をどかしながら、そろりそろりと求菩提山の構いの門あたりまで車で行きましたが、
a0119252_17264767.jpg

とてもじゃないが、普通に走行できる状態の道路ではなく、父と妹というひと二人の素手でなんとかできる量の障害物でもなく、残念ながら今回はこれにて求菩提のわがルーツを訪ねる旅は幕、と、求菩提山に別れをつげました。
わたしたちは、また求菩提に来て、その時こそは求菩提の五窟と曽祖父の茶室もめぐろうと心に誓いましたが、父は『次、また来るためにお金と体力を再び蓄えなければならんのう…』と、少し、遠い目をしていました。いやいや、がんばろうよ、また絶対、一緒に来ようよ、ジイジ!!
さて、これにて終了かと思われたわが山伏のルーツを訪ねる旅でしたが、これには続きが。
求菩提山に泣く泣く別れを告げ、車を一路、博多方面にむけ走り出した車内、ここ数年、不通で心配していた求菩提在住のやはり山伏の末裔の遠い親戚、Gさんの電話番号に、今回の旅の間もずっとかけ続けていた父の携帯電話に、このとき応答が!
a0119252_18334484.jpg


Gさんのお父上にかつて父は求菩提でお世話になり、またそのお宅の隣に曾祖父の茶室があったんだとか。わたし自身も前回の求菩提への旅でこのGさんにお会いしたことを覚えています。
電話のむこうは、父が話したかったGさんの息子さん。Gさんは最近、老人ホームに入所して、つい先日、独り身になった息子さんが父上の世話をするために求菩提山麓に引越してきたばかりなんだとか。
a0119252_18315224.jpg


というわけで、わたしたちはGさんの息子さんのお宅と、ホームのGさんを訪ねることができたのです。このGさんという方は、そのお父上の代からずっと、山伏のわが坊一族のお墓をずっと守ってきてくださっていて、これはまたその息子さん、お孫さんにも受け継いでくださっているので、父としてもわたしたちとしても、有難いことと感謝の念はつきない。
久々にお会いするGさんは91歳、あいかわらず、朴訥な穏やかな方でしたが、
入所して、「家族があそびにきてくれるのは、ね、とても嬉しくて、楽しいんだけれど、帰ってしまったあとがね、いやなんだよ。ここが、こう、さむうくなるのよ」と、おなかをさする様子がほんとうにわたしも切なかった。さびしい、ということは、胸の中だけでなく、おなかのなかまでさむうくなりますよね、ほんとうに。玄関先まで見送りにでて涙をたたえた眼で、わたしたちと別れるGさんに、うちの子ども達もずっと手をふりつづけました。
途中、求菩提の鴉天狗がモデルの豊前市のゆるキャラ、くぼてんくんの描かれたガードレールやマンホールなどを見つけて喜んだりしながら、夕方、ようやく福岡空港に到着。
a0119252_18513816.jpg


昨日も今日も博多ちかくに行きながら、台風の雨風がすごくて結局、行けなかった長浜ラーメンは空港のレストランで。
a0119252_18564615.jpg


福岡空港、夜20時半発の飛行機で東京 羽田空港には22時半に到着。こうしてわが山伏の先祖に思いを馳せる求菩提への旅 2015夏 、終了いたしました。
台風とぶつかったおかげで、また次回、という目標もできたから、父よ、また求菩提をめざしてがんばろう!!!
自宅から父夫妻をひろって羽田空港、北九州空港から求菩提、求菩提から北九州空港、北九州空港から博多、博多からまた求菩提、求菩提から福岡空港、そして羽田空港から父を送って帰宅にいたるまで、ずっと車を運転し続けてくれたわがダンナ様、ありがとう。
追記;車中で子ども達はじいじと叔母ちゃんをまきこんで、ずっと四文字熟語しりとりにはまっていましたよ。


応援ポチッと
いただけると励みになります〜072.gif
にほんブログ村 料理ブログ ダンナ弁当・パパ弁当へ
にほんブログ村にほんブログ村 ハンドメイドブログへ
にほんブログ村
人気ブログランキングへありがとございました〜072.gif
[PR]
by ras4love | 2015-08-25 23:30 | 好き | Comments(0)

2015 夏の子連れ旅 北九州  一日目 求菩提山

今年の夏の子連れ旅の行き先は、九州、福岡県の知るひとぞ知る霊山、求菩提山。
a0119252_19111215.jpg


ここはわたしの父方の家が山伏として代々、護ってきた山であり、明治時代初期の廃仏毀釈の際に山伏は廃業し、神官として求菩提山の国玉神社を護ることとなったところ。
父方の代々のお墓も『山伏の墓』としていまだに求菩提山にあるので、
お墓参りも兼ねて、祖父と孫の、ルーツに思いを馳せる旅と相成りました。
うちの家族、わたしの父夫妻の他に、わたしの妹、それから求菩提山の山伏であった父方の親戚も福岡から合流するという構成。
a0119252_1985495.jpg


行きは羽田空港6:20発 北九州空港7:50着の飛行機。子ども達、懐かしのキャリーバッグ『クワガタくん』『カブトくん』も出動。もう小学生男子だから乗ったりする必要なんか絶対ないだろうけど(笑)
a0119252_19453930.jpg


今回は老人もいるので北九州空港からはレンタカーを借りて移動。求菩提にむかう途中にある道の駅[おこしかけ]にて朝食。アサリ汁セット500円。
a0119252_19495861.jpg


求菩提は山伏の修験道のさかんな場所だったゆえ、鴉天狗の里としても有名だから、この天狗の像があちこちにあるのですが、おなじ天狗の像がこの新しい道の駅[豊前おこしかけ]にも屹立していて少しびっくり(笑)
a0119252_19542468.jpg


さて、まずは平安時代につくられたという[迦陵頻伽(がりょうびんが)像](福岡県指定文化財)から。
こんな畦道から入ります。
a0119252_2052111.jpg


その後、宿泊予定の《卜仙の郷》で大きな荷物をおろし、お墓参りの用意をしていざ求菩提山へ。
今回は、求菩提という霊山をずっと山伏として何百年も護ってきた先祖に思いを馳せる旅なので、うちの息子たちは白装束に結袈裟で。うちの父も我が坊に伝わる金剛鈴と五鈷杵を持参。
まずは[構いの石門]ここが表参道の結界。求菩提山七重の結界のうちの第四番目。山伏はここより先に居を構えていました。
a0119252_2192943.jpg

ここから山伏であった我が坊の代々のお墓へ。何代も何代も前から山伏である先祖たちの、いくつも連なる苔むした墓石に手をあわせながら、我が父、我が妹や弟もふくめ、福岡から合流した同じ山伏の血をくむ親戚にもまた、脈々と同じ血がつながり、同時に沸き立つような不思議な感覚をおぼえました。
今の山伏さんたちで、代々ずっと山伏の坊である方はもう、そうそう居られない時代。代々、山伏の家でももちろん日々修行と鍛錬のすえ、それなりの名をいただくという繰り返しのなかで、一族として培った感覚というものはなにか必ずや確かにあったなあという思い。
a0119252_21414188.jpg


そんな思いをめぐらせながらお墓まいりを終え、座坊主跡へむかって降りているとき、コトは起きました。お墓と山道の間の斜面を降りるわたしの足下から転がる丸い石が。と思いきや、なんと古い古い仏像の頭部。わたしたち一行、この山を護っていた山伏の家の者たちを待っていたかのように現れた仏様のお顔をみると、不思議とわたしたちも穏やかな気持ちで預かり、山伏であった時代のものを保存、展示している求菩提資料館に届けることに。
a0119252_21374084.jpg


そんなお墓参りのあと、座主坊園地の庵でお弁当。
朝、北九州空港からの道中、[豊前おこしかけ]で買った棒鯖寿司と茹で卵。酢がきいた鯖が美味しかった。
a0119252_21391829.jpg


昼食後、求菩提山頂めざして出発。
岩屋坊として史跡となっているところも、父も、福岡の親戚筋もそれぞれ実際に住んでいた家人を訪れた記憶をそれぞれもっていて、それを語りあえるという一族として一行として求菩提の地で会えたこともすごく嬉しい。
a0119252_2252928.jpg

ジイジの家宝の古びた金剛鈴と五鈷杵を携えて[鬼の石段)も小さな烏天狗のように、ひらりひらりと登る、うちの1号2号兄弟いわく、いままでの登山の靴や服と違い、この山伏の白装束が最も動きやすく気持ちが良いんだそう。
a0119252_2294418.jpg

余裕の小天狗たち、家長のジイジをお迎えに(笑)
a0119252_2212840.jpg

下山途中に青い蚯蚓に遭遇。青くて長い!
a0119252_22133778.jpg

この他にも、父は、曾祖父の茶室や、山伏の修行道をまわりたかったようだが、夜明け前に東京を出発した老体にはここが限界のよう。
明日以降はどうも大型台風が九州直撃するようなので、今日中にお墓参りと求菩提登山が完了したことでよしとする。
今回のお宿[卜仙の郷]にもどり、温泉につかり、夜はみんなで宴会。
a0119252_22181184.jpg


このあとおしゃれなお膳がつづいたが、一族の不思議話に花が咲き、撮ったのは子どものお膳だけ(笑)
a0119252_22204264.jpg


満腹の一行はそのまま満天の星を見に宿の前の地にでて寝そべる輩、続出。なんと自由な山伏の末裔ども(笑)たしかに星はこう見た方が全身で感じ取れますが。
普段、わたしは、『見える』と言うひとには一線をひいて接してしまうし、わたし自身、『見える』と自称するつもりもないのですが、今回の旅では山伏の末裔が集まって山伏末裔パワーが共鳴し合ってたいへんなことになってしまったのか、書かずにいること、写真を出せずにいることも含め、どうも不思議なことが続出。この満天の星についても、わたしは普段からものすごく目がよくて、たぶん視力5とか6とかあるんじゃないかという口なんですが、この求菩提の夜は、いくつかの星がそれぞれ小さくくるくると赤や緑に光りながら回転して見えてしまいました。父もまた、星が回転している! 不思議だ!、回転している!とつぶやいていたので、どうやら私と父に、この不思議な光景が見えていたようです。つぎのお迎えはわたしたちなのかなあ。ご先祖さま、よろしくお迎えください。


応援ポチッと
いただけると励みになります〜072.gif
にほんブログ村 料理ブログ ダンナ弁当・パパ弁当へ
にほんブログ村にほんブログ村 ハンドメイドブログへ
にほんブログ村
人気ブログランキングへありがとございました〜072.gif
[PR]
by ras4love | 2015-08-23 21:00 | 好き | Comments(2)

ルーツ, 思いついた順にその5 チンできるわっぱのお弁当 大根肉味噌

とうとう11月になりました。
浅草では酉の市の提灯などがとりつけられ、年末にむけてあわただしく秋が過ぎていきます。
あたしにとって11月は、祖母、母、自分の誕生日のつづく月。もう母も祖母もいませんが、誕生日にだった日になると、はらはらと散る紅葉のように、思い出も降ってくる。今日はそんな母方の祖母の誕生日。a0119252_932226.jpg
秋田から出てきて、神田ッ子で安田銀行の実業団野球チームの選手だった祖父に嫁ぎ、独立して保険屋さんを興し、お手伝いさんつきの奥様になって母が生まれたかとおもえば、事業に失敗して無一文同然での再出発をささえるために定年までずっと事務で働いた職業婦人でした。
おばあちゃんが通ったあとはどんな部屋でもすっきりきっちり片付いていたし、鍋にはお豆やひじきや大根やお芋が煮えていて、そうしてできた整頓された静かで、おいしいものの香りが漂う空間に、ひっそりと座ったおばあちゃんは涼しい顔でなにか編み物をしているか、孫の着物を仕立てているか、と、常に静かに働きつづけている人でした。おじいちゃんには苦労させられただろうけど、孫には茶目っ気たっぷりにこっそり悪口を言ってちっちゃく仕返しをしながらも明るくて優しいおばあちゃんでした。
おばあちゃんに、一番はじめに教わったかぎ針のコマ編みで、おばあちゃんにルームシューズを編んで誕生日プレゼントにしたのを覚えています。小学一年生のこの日だったかな。
手芸の好きなおばあちゃんの血は確かに受け継いでいるけれど、片付け上手なところも受け継ぎたかったな(笑)三味線もならっておけばよかったわ。a0119252_933942.jpg

今日はおばあちゃんの好きだった色の小風呂敷で。
こんなお弁当です。
a0119252_9161751.jpg


ごはん、ゆかり、梅干
銀鱈
小松菜のお浸し
薩摩芋フライ
大根の肉味噌
a0119252_9161889.jpg

応援ポチッと
いただけると励みになります〜072.gif
にほんブログ村 料理ブログ ダンナ弁当・パパ弁当へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへありがとございました〜072.gif
[PR]
by ras4love | 2012-11-01 09:13 | お弁当 | Comments(0)

ルーツ …思いついた順にその4 外国の絵本の頁の中に

時々
大喧嘩もするけれど大切な妹の誕生日でもあり
そして
母の命日でもある昨日は
冷たい雨。
遠く離れた病院で母が亡くなった日も、東京でお葬式の日にも
冷たい雨がたっぷり降ったので
こんなふうに大切な日に雨が降ると

ああ、ママがきてる、と嬉しくなる。

雪になりそうな冷たい雨の中、
浅草からもほど近い
白山ちかくの菩提寺までお墓参りに行ってきました。

a0119252_20591930.jpg


亡き母は
ひらひらと舞う理想という蝶をずっと追い続ける少女のような人で

捻くれて頑固で偏屈で天の邪鬼な長女のあたしとは
最期にやっと『わかりあえた』『愛されていた』と思えるまでなかなか難しい相性でしたが

色とりどりの、ひらひらと舞う[蝶]を追う母のもと
一緒に暮らすのは大変でしたが
母の集めた鮮やかな[蝶]の数々を眺めることは
あたし自身の心の糧となっています。


a0119252_20593414.jpg
今、チビ達を育てつつ身近に思い起こす[蝶]のひとつは
母の集めていた外国の絵本です。

日本橋の丸善の外国の絵本コーナーから母が買ってくる
絵本でずっしり重い紙袋は、ほんとうに楽しみでした。

母が選んでくる絵本は、『しろいうさぎとくろいうさぎ』など、
後々、和訳され、人気の絵本として殿堂入りしたものも多く、
今思うと、彼女にはそういうセンスがあったのかも。

あたしは食いしん坊だったので(今でもそうですが)
食べ物が美味しそうに描かれている絵本
美味しそうに食べている様が描かれている絵本に惹かれ

その中の数冊を
今でも時々チビ達と眺めています。

こうして母の絵本をふりかえってみると
あたしの好きな頁のある絵本がほとんどで

ということは
母も食いしん坊だったんだなと。
あたしが今でもやっぱり眺めてしまう同じ頁に惹かれて
この絵本を手に取ったのかもと。

そう気づくと
今、手元にある母の集めた数冊の絵本がとてもとても
愛おしくなりました。
母のぬくもりすら
感じます。
a0119252_20595020.jpga0119252_210714.jpga0119252_2102237.jpg

応援ポチッと
いただけると励みになります〜072.gif
にほんブログ村 料理ブログ お弁当へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへありがとございました〜072.gif
[PR]
by ras4love | 2010-03-07 21:50 | 好き | Comments(0)

奄美諸島、加計呂麻島へ

日曜日の朝、浅草を発って
奄美大島とその離島、加計呂麻島に行って来ました。

お義母さんの父、チビ達にとってはひぃおじいちゃんがいるのですが
海の美しい遠くの南の島、
せっかく行くなら海で遊びたい。
となると
梅雨があけて台風が来ない季節で
しかも海で遊べるという時期は今しかないのです。
a0119252_1583883.jpg
数年前まで加計呂麻島に住んでいたけれど
今は奄美大島の南端の古仁屋にいる
ひぃおじいちゃんのところに
まず寄ったんですが

お義母さんが門を入って
『お父さん、ただいま〜!』と
言うか言わないかのうちに

ひぃおじいちゃんの
『今なら2時の船に間に合う、はよ行け!!』と一喝する声。
お義母さん、『はい』とばかりにまわれ右で
レンタカーに戻り、古仁屋港に急ぎ
カーフェリーの前に1時55分に到着、
一人は車を船に乗せ
一人はキップを買いに走り
一人はチビ達を引き連れて船の急な階段をのぼり2時の船の出航に間に合ったおかげで

朝、浅草を発ったその日のうちに加計呂麻島の海でも遊ぶことができました。
ひぃおじいちゃんのところには帰りにまた寄るからいいとお義母さんも言っていたんですが
なんと
帰りに寄ってももひぃおじいちゃん、
出かけてしまっていて会えずじまい。
独り住まいでマイペースなのでなかなかタイミングが合いません、なんて悠長に言えないくらい遠くから来ているのに(笑)
今回、ひぃおじいちゃんに会う、という旅だったのに
肝心のひぃおじいちゃん、声だけの出演です(笑)

これでいいの?とは思いましたがなにしろ嫁の立場だし
南の島の人たちは
のんびりやさんで楽天家だけれどパワフルで忙しく自分の用事で動き回っていたりして
東京生まれ東京育ちのあたしには伺い知れない絆もあるのだろう、と
これはこれでよいのだろう、と。

加計呂麻島の
お義母さんの親戚のおばさん、おばあさん達の家では
『おも〜ち』(おもちのお雑煮)をいただいたりa0119252_159077.jpg




『ばんしろうのジュース』(グァバジュース)をいただいたりa0119252_1591212.jpg










『ばんしろう』やバナナが
庭や生け垣に生えてたりします。



パッションフルーツは
『時計草』とよばれていました。a0119252_1592575.jpg







南の島の
潤沢な湿気と光と満ち満ちる生命は
なにもかも
鬱蒼と茂らせるのでしょうか
里芋の葉ほどの大きなポトスもありました。

生け垣の小道も
こんなに茂っています。








a0119252_1595188.jpg



有名な
『鶏飯』(けいはん)も
もちろんいただきました。


鶏ガラの出汁のスープをご飯にかけて食べるのですが
スープがほんとうに美味しい。
熱々でも冷めても美味しい。



a0119252_20439.jpg





海は
水が透明で
珊瑚の白いかけらの散る海底だからか
碧の色がとてもとても美しく
こんな海で遊べたチビ達は、幸運だと思います。
すっと
心に飛び込んでくるような
なんの抵抗も無く沁み入ってくるような
透きとおっていて明るく煌めく光のあたたかい海なら
懐に抱かれるようにのびのびと清らかな海に遊ばせてもらう感覚を
一生忘れない楽しい思い出の中に持ち続けられるでしょう。
a0119252_201736.jpg



a0119252_263017.jpg

海にはほとんど人影はないのですが
たまに遭遇するマリンスポーツを楽しむ人たちは皆
同じムービーカメラを持っていて面白かった。

もちろん、うちでも愛用中。
これは
運動会を撮るのにはあまり向かないかもしれないけれど
なにしろ完全防水!
水中撮影ができるのです。
軽いし気楽に使えるのでお気に入りです。

なんだか親しみを感じて同じSANYO[Xacty]どうし記念撮影。
a0119252_264835.jpg

a0119252_27454.jpg
加計呂麻島は夜明けが遅いかわりに日暮れも遅いそうです。
六月のおわりでも
日暮れはなんと夜八時。

そのせいかどうか
朝から晩まで充実した加計呂麻島での二日間でした。

この美しい海がすっかり気に入ったチビ1号、
帰る船では悲しい、とうっすら涙。
ひぃおじいちゃんにも会えていないし(笑)
また行こうね。
a0119252_271729.jpg





自分で自分に選んだ
お土産はこれ。

このミント黒糖は
味のバランスがよくて
美味しかったので買って来ました。Kおばの庭の『時計草の実』パッションフルーツ。a0119252_9205380.jpg


加計呂麻のひとたちの言葉、のんびりしていて抑揚が外国語みたいで耳に楽しかったです。
『ポカ〜リ』ポカリスェット
『おも〜ち』おもち
『はさ〜み』鋏
『かけ〜ろま』加計呂麻
『ふね〜』船

これでふと思ったんですが加計呂麻、の字。
か、け、ろ、まの『け』の[計]の字だけ
『けい』と読むのが普通の字を使っているのは
『かケイろま』『かけ〜ろま』という音をあらわしてみていたりするのでは?なんて(笑)
[PR]
by ras4love | 2009-06-30 01:39 | 美味しかった? | Comments(2)

池袋サンシャイン60の フレンチ、AUXAMIS 59へ

六月の最後の土曜日、

とてもよく晴れ、暑い中、
父方の「千」祖母、祖母の従姉の「ししどさん」のために
久々に父方の親戚が雑司ヶ谷霊園に集まりました。


そしてお昼には
二人の通っていた教会の牧師さんも一緒に
サンシャイン60のフレンチレストラン、
AUXAMIS 59へ。

French & Wine Bar AUXAMIS 59 (フレンチ / 東池袋、東池袋四丁目、向原)
★★★★ 4.0




ここは59階にあるので眺めはよいのです。
池袋に職場のある妹が
父世代の多いメンバーの胃袋もふまえて
事前にメニュー構成をレストランと考えておいてくれたので
どんなメニューが並ぶかと楽しみでした。

前菜、イワシのマリネa0119252_193023.jpg


バター好き揃いのうちのメンバーはパンにはバターを頼みました。(別料金!)
フレンチなのに
オリーブオイルなんか出されたら許せないあたしです(笑)





ビーツの冷製ポタージュ。
色合いが素敵。
さわやかなポタージュ、美味しかった。a0119252_194320.jpg











カジキマグロのポワレ

野菜の酸味が効いていて、
魚の鮮度が生きたと思います。a0119252_19584.jpg














牛フィレのステーキ、粒マスタードのソース


つけあわせはマッシュポテト、
それにステーキとソースだけという
ものすごいシンプルさ。

でもお肉が美味しかったし、マッシュポテトも生クリームの濃厚な風味がなかなか奥深く、
シンプルさも相まって
なかなか印象的でした。a0119252_1101273.jpg










ダークチェリーのデザート盛り合わせ


ダークチェリー好きなので
最後に幸せな気持ちをまた、一押しされました。a0119252_1103262.jpg








景色に見入るチビ達。
塀の上から地面を見下ろす猫達のよう。a0119252_1104430.jpg

フォワグラ好きなあたしも妹もメニューにフォワグラは入れたい派ですが
牛フィレステーキ好きな父や弟のためにバランスをとって
父世代の胃袋がもたれないように妹も考えたんだなぁという
そんなメニューでした。
軽めで気取らず、それでいてちょっと洒落ていて
「アルベール」祖父や「千」祖母、「ししどさん」を偲ぶにはふさわしい
六月のランチだったと思います。


応援ポチッといただけると励みになります〜072.gif
にほんブログ村 料理ブログ お弁当へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへありがとございました〜072.gif
[PR]
by ras4love | 2009-06-27 14:57 | 美味しかった? | Comments(0)

ルーツ …思いついた順にその3 水玉模様の六月の日曜日

六月末に予定している法事の主役のひとり、
父の母、「千」祖母。
「アルベール」祖父とともにルーツ …思いついた順にその2 アルベール
歩みつつ、

あたしの母いわく
母に意地悪を言いつつも(笑)
公には
ボランティア活動、図書館の本を声で読み上げ録音して
目に見えない人のための録音[本]を充実させることに打ち込んでいました。
書道にも凝っていたし
鍼灸もかじっていたし
録音[本]のためにアナウンサーの勉強もして
ちょっとした録音機材も小さなスタジオ程度、揃えていたり
あまり主婦然としていない祖母でした。


[自由学園]という私立の学校をうちのきょうだいに薦めてくれたのも祖母です。

あたしという人間の土台は
自由学園幼児生活団(幼稚園)と自由学園初等部に通った時代につくられたと思うので
「千」祖母には感謝しています。


学校法人自由学園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(自由学園 から転送)
自由学園(じゆうがくえん)は、東京都東久留米市学園町にある学校法人。
幼稚園から大学まで独自の教育理念に基づいた一貫教育を行う。
クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって
1921年4月15日、キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようと豊島区に設立された。
毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づき、学生の多くが学園内の寮で生活し、校内の維持管理や給食調理も生徒自身が行うなど、文部科学省のカリキュラムにとらわれない独自の教育方法で知られる。農場や学校林も所有している。
また、豊島区にある明日館はフランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計で、1997年に国の重要文化財に指定されている。
a0119252_2071933.jpg






a0119252_2084153.jpg


自由学園に
自分の孫を入れよう
という
祖母の意思は

そのまま
「千」祖母のあたしへの愛情だと思って
素直に嬉しい。

a0119252_13542083.jpg


a0119252_20155192.jpg

たぶん
感受性過敏気味
だったあたしには
スポンジに水が
しみこむように

ほんとうに
毎日毎日
五感六感フルに
よい経験を
積み重ねられたと
思います。





美術教育、
食育、
自然の多い環境、
音楽教育、
デンマーク体操(笑)、

そういう要素が全て、今のあたしの素。

フランク・ロイド設計の校舎や椅子、庭の広い広い芝生を
手入れも含めて生活の中で使えたということも貴重な経験です。




とはいえ
あたしの祖母の実際の記憶は
いつも
母との確執という、湿った暗い霞のむこうにあります。

母も
祖母も
たぶん、ものすごく知識欲が旺盛だったのに
思うようにそれを認められないように感じつつ

きょうだいもなく育った勝気な娘どうし
似たものどうし
なんとなく張り合ってしまっているんだなと
あたしは思っていました。

二人の間にいて
頭上を飛び交う、熱くて鋭い言葉のやり取りに
胸を傷めつつ。


亡くなるまで知らなかったのですが、「千」祖母は千住の生まれでした。
優等生的な母の言葉に
間髪入れずに切り返すあの早さ、正確な鋭さは下町気質に由来していたかと、
妹と二人、
顔を見合わせて笑ってしまいました。


母は料理はあまり上手ではありませんでしたが
モノ選びのセンスは卓越していて
子ども達の服も彼女なりのセンスで選んだ生地で手作りが多かったのですが

「千」祖母も洋裁が上手だったので
ほんとうは
孫のあたしたち姉妹にも服を作りたいと思っていたのかもしれません。

ある六月の日曜日、
荻窪の教会にあたしを連れて行くから、と祖父母の家に一人、呼ばれたことがありました。
駅で待ち合わせてもいいのに
どうして家まで呼ばれたんだろうと怪訝に思いながら祖父母宅に着くと
「千」祖母が
少し照れながらワンピースを持って来て
『ras4ちゃん、今日はこれを着ていこうね、おばあちゃんが縫ってみたの』

なんと、祖母とお揃いのワンピースでした。
白い生地に青い水玉の柄で、ちょっとカルピスみたいでしたが
爽やかでパッと華やかで素敵なワンピースでした。

日傘をさして、青い水玉の白いワンピースの祖母は
いつになく晴れやかな笑顔で

あの日の眩しい陽射しとともに覚えています。


その日、あたしは母の手作りのよそ行きワンピースを着て出たので
祖母のワンピースから着替えて帰り、
母には何も言いませんでした。

「千」祖母とお揃いの白い水玉のワンピースでのお出かけは
眩しい陽射しの記憶として

湿らせたくなかったのです。


その後
「千」祖母の手作り、お揃いワンピースの件はずっと内緒にしたまま

「千」祖母の通夜で30年ぶりに初めて人に話したので
みな、驚いていました。
父は初めて知って、嬉しそうでした。
母はすでに亡くなっていたので知らないままでしたが。

祖母とお揃いの
水玉の素敵なワンピースで教会に行き、
帰りにパフェを御馳走してもらったあの六月の日曜日のこと、

「千」祖母とのいい思い出です。
[PR]
by ras4love | 2009-06-15 23:27 | Comments(0)

ルーツ …思いついた順にその2 アルベール

父方の祖父が亡くなったのはもう十数年前になるけれど
ほんとに大好きな祖父だったので
お骨になるときは悲しくて悲しくて、ひとり大泣き。
その横で慰めてくれたのは
普段まわりにいて、よく話しているあたしの家族じゃなくて、
あの「宍戸さん」でした。ルーツ …思いついた順にその1
『あんたがそんなに涙を流すほど大好きだったのは、きっとあのおじいちゃんもわかってるよ。
そんなに赤ん坊みたいに泣いて惜しまれるなんて、ほんとにいい人だったね、あんたのおじいちゃん。』
ぶっきらぼうで少年みたいな口調だし、
今、思えば、なんだか小さな男の子を慰めているみたいな言葉でしたが
とてもありがたかったし、落ち着きました(笑)


さて
その父方の祖父がなぜ「アルベール」なのかという話です。

祖父には兄がいて、
牧師であり、関西のD志社大学神学科で教えている人だったんですが
異母弟妹含めて4人きょうだいのうち
牧師のお兄さんと祖父は特に仲が良かったようです。

祖父を偲ぶ会の席で、突然、
父が手紙を取り出し、
祖父のユーモラスな一面を偲ばせると思うので、とことわって読みあげ始めました。
どうも
若かりし祖父が、若かりし祖父の兄、K大叔父とかわした手紙のようですが
署名が可笑しいのです。

『君の忠実なる弟、アルベールより』

です。

それに応えてK大叔父も
『親愛なるアルベール』ではじまり。
なにやらKで始まるフランス名で署名した返信。


手紙の内容も、
時代がそんな時代だったのかもしれないし
神学を志した青年と
科学を学んでいた青年だったからなのか
哲学的で詩的で温かいユーモアにあふれた軽妙なやりとりで

あたしは
そんなおじいちゃんの孫なんだ!と
その手紙のやりとりを聞いていて
じわりと心の底から嬉しくなりました。


「アルベール」祖父は
孫のあたしの理解する範囲では、
ブタンガスとかメタンガスとかを爆発しないように管理する技術の研究をしていて、
エキゾチックな国々への出張も多い仕事でした。
スペインやシルクロードの奥地から
『ミヤゲモノノボウシヲカブッテイタラ、ニホンジントハオモワレナクテ、タイヘンナオモイヲシマシタ。オジイチャンヨリ』などと、全部カタカナの文が書かれた絵葉書を
送ってくれたものです。

何のお仕事をしているの?と聞く度に
『…お尻からプッと出るもの、知ってる?知ってるか。それの研究だよ。』と。
口髭をはやしていて
いつもキャメルの煙草をふかしているので
口髭の煙草をもぐもぐ動かして、あの茶目っ気のある目で言うのです。

え〜?!お尻からプッとでるものなんて知ってるけど、
それって…!?それの研究でなんでスペインやインドにまで行くの?と、
聞く度にふざけてるのかと思いましたが

ほんとにガスの研究でした(笑)



例の手紙のやりとりは別にして
「アルベール」祖父はAB型の次男の典型的なタイプだったような気がします。
自分の興味のあることに集中して造詣を深め
それなりに真摯にしかし飄々と学び続け
亭主関白気味で(笑)
ひとにはあまり干渉しない。
守るべき存在に対しても、一歩後ろでニヤリとしながら見守っているかんじ。

もともと父の家系は
修験行者、山伏の家で
福岡の求菩提山という霊山を守っていました。
○○坊という名もあります。

「アルベール」祖父の山伏っぽい?根性をみた気がしたのは
72歳にして初めてスキーに挑戦したところです。
楽しかったようですが
脚を骨折してました(笑)

求菩提山の山伏だったということが自分たちのルーツであるという感覚は
「アルベール」祖父はもちろん
K「牧師」大叔父までも持ち続けていて
「牧師」なのに、神学科で教えているのに、

『大きな声では言えないけれど、実はね、おじちゃんもそう思うよ。
求菩提の神も、仏も、聖書の主も、他のたえなる存在も、人間の命のはるか上の想像をこえたところではひとつなんじゃないかと。』

なんて
あたしや妹に、茶目っ気のある笑顔でひそひそと囁いたくらいです。

父の家系の血筋というのはそういうところに感じます。

一歩ひいたところで大きな流れをしっかり見据えつつ
一本歯の下駄で片足で立って八つ手の葉でバランスをとってみせる茶目っ気というか。

そうそう
求菩提山は鴉天狗(カラス天狗)の里なのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/求菩提山
求菩提山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
求菩提山(くぼてさん)は福岡県豊前市求菩提と築上郡築上町寒田の境界に位置する筑紫山地に属する標高782メートルの山である。麓の豊前市のシンボル的な山であり、かつては英彦山、犬ヶ岳と共に修験道の山だった。

古くから修験道の霊山として修行が行われ、1870年頃の明治時代前期まで山伏信仰が行われていた。山頂付近では修験道に関係する「求菩提五窟」と称される普賢窟・多聞窟・迦陵頻伽の彫られた岩洞窟など遺跡や遺物が存在しており、国宝や重要文化財に指定されたものもある。こうした歴史的背景から国の史跡にも指定されている。
山頂付近には豊照神社や資料館、キャンプ場があり、周辺には湧き水も多い。山頂の神社に至る850段の石段は「鬼のあぶみ」とも呼ばれ、山中を荒らし回っていた鬼が求菩提権現との誓約により一晩で築いたという伝説が伝わる。
周辺には英彦山や耶馬溪などがあり、求菩提山も耶馬日田英彦山国定公園に含まれる。
また、求菩堤山には鴉天狗の伝説が伝えられており、豊前市のマスコットキャラクターである「くぼてん」はカラス天狗にちなんだマスコットキャラクターである。

求菩提の鴉天狗は[次郎天狗]とよばれている。a0119252_181812100.jpg求菩提山の麓の資料館に鴉天狗の像もあります。

「アルベール」祖父の希望で
兄のK「牧師」大叔父によるクリスチャン式のお葬式をしながらも求菩提に分骨するため
父や父の従兄弟達と行ったので
父のルーツ、山伏のご先祖達の眠る霊山を訪ねる機会がありました。

求菩提の霊山も、明治の号令で国護の神道に変えられたので
現在、山守をしている遠い一族の方がお墓に備える「榊」を持参、
父たちと同行したK「牧師」大叔父の息子達、つまり父の従兄弟達が薔薇を1輪ずつ。



『…「アルベール」叔父が赤い薔薇好きだったから』と
山の中腹の鬱蒼と繁る緑の中のお墓まで
途中、鎖場もある、かなりの登山道を、
父の従兄弟のおじさんたち、薔薇一輪づつ持って登って来てくれていたんです。

こうしてお墓の花瓶にそなえられた榊に真っ赤な薔薇が一輪ずつ。


榊の中の
燃えるように赤い一輪の薔薇は
たしかに、茶目っ気があって、そして洒落ていたあの「アルベール」祖父らしい気がして
山の自然の中で鮮やかに目に沁みました。



鬱蒼と茂る緑と
湿った枯葉に覆われた土と
大きな黒々とした岩の山、求菩提山。
そんな力強い自然を踏みしめて
脚にみずみずしい大地の気を感じ
頭にみずみずしい天の気を感じて立つと

身体の感覚、心の感覚、
他者と自己の感覚、
みな混然一体となって、

自分は
一滴として大海を見ているのか
大海として一滴を見ているのか
わからなくなるような目眩のような感覚。

求菩提の山の
大きな石室のあるお墓で
千年も何百年も昔のご先祖の存在を記す名の刻まれた石壁を見ながら

そういう、なにか深淵で大きくてとらえどころのない雲のような脈打つ感覚を
『これが父方の血筋の感覚。』と、心身で理解したような記憶があります。


「アルベール」祖父も
あの感覚を一生持ち続け、
安らかに
その大きくて深い雲のような脈うつあの感覚のもとへ
とんでいったのかもしれません。

「アルベール」祖父の最期、
あたしはなんだか予感がして、ただひとり祖母のもとに急ぎ、
祖母とあたしで最期を看取りました。
息をひきとる、というのが本当にその字のごとくであることを知りました。
スッと。
この世の最期の息は持って行くんだ、と思いました。

あたしのその後の人生と
あたしの歩む大きな岩のゴロゴロしている曲がりくねった荒野の道を見て

『ras4、[死]はこういうものだよ。
どんな形にせよ、必ずいつか、訪れる。
[死]がくるまで精一杯生きたのなら
[死]を淡々と安らかに受け入れるだけだ。』と

示してくれたのかもしれない。

赤い薔薇の「アルベール」祖父は
わたしのルーツの中でもかなり存在感があります。
[PR]
by ras4love | 2009-06-12 14:38 | 好き | Comments(0)

ルーツ …思いついた順にその1 ししどさん

先日、父方の祖母の従姉「宍戸さん」が亡くなりました。

父方の祖母のいとこなんて
今の世の中じゃ、だいぶ遠い縁なので亡くなったからといっても
孫世代が格別どうこうするほどでもないんでしょうが
あたしは「宍戸さん」が好きだったし
なんだか自分の遠いルーツではあるけれども忘れてはいけない根っこのような気もするので
ここに記録。

父方の祖母は早くに両親を亡くし
その従姉「宍戸さん」のおうちで姉妹のように育ててもらったので、
その従姉はもう、すごく強烈なひとでしたが
祖母はお世話になったから、と
我慢しながらもつきあい続けてました。

「宍戸さん」は
【宍戸左行】という漫画家 http://kotobank.jp/word/宍戸左行の一人娘で、
古文研究家で本も出しているような母上がいる
宍戸嘉美というひとです。


宍戸左行『スピード太郎』復刊版別冊付録に解説を書いたりしているのが彼女です。
解説について一言
祖母側の立場からいえば、相当、意地悪な書かれ方で祖母も登場してます。
ほんとに「宍戸さん」と一緒に育つのは
並大抵の神経じゃもたなかったと思います。




コトバンクによれば

宍戸左行 ししど‐さこう

1888‐1969
大正-昭和時代の漫画家。
明治21年11月5日生まれ。44年渡米し、洋画、漫画をまなぶ。
帰国後、「東京毎夕新聞」に政治風俗漫画を連載。大正15年に日本漫画連盟を結成。昭和5年から「読売サンデー漫画」に連載した「スピード太郎」で注目される。戦後は水墨画をえがいた。
昭和44年2月3日死去。80歳。福島県出身。福島中学卒。本名は嘉兵衛。
出典:講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2009


a0119252_803992.jpg

宍戸嘉美というおばさんのことは
単に「宍戸さん」とよんでいました。

「宍戸さん」が
お父上の生誕100年展を三越かどこかで開催したときに
当然のようにうちの家族が一族郎党かり出された時
あたしは初めて「宍戸さん」と出会ったようなものです。

父や叔父なんて、勤め先に「宍戸さん」から好き勝手に電話がかかってきて
「おい、M、今から車で迎えにきて、この作品集を運んでくれ」とか
呼びつけられたと苦笑してました。
「おい、M」だなんて呼び捨てだし、「運んでくれ」だなんて
おばさん世代のいい大人が使う言葉じゃないし
平日のそんな時間、普通のひとは皆、勤務中だとわからないはずがありません。

「宍戸さん」は
そんな、だだっ子のような、わがまま娘がそのままおばさんになったような
でも、ひとりぼっちで寂しいから、ずれてるヒトなんだと、
うちの家族ではそう認識されていたと思います。

あたしは
苦笑しながら父が言った「宍戸さん」の言葉、
なんだかちょっと胸が痛くなりました。

あのヒトがそんなことを頼もうにも自分には弟も息子もいなくて
甥っ子のMが、そのとき大きな仕事をしているのは重々承知だけれど、自分の用事にもかまってほしいし、自分の父の残した軌跡にももっと関心をもってもらいたいのに素直に言えず、
好きな子にちょっかいを出してしまういじめっ子みたいな
半分、嫌がらせみたいな行為とか

「宍戸さん」なりに
テレてそんなこと言ってしまったような気がしたのです。


頑固で融通がきかなくて我侭で非常識で偏屈で天の邪鬼で孤独。

という透明の分厚い壁に
閉じこもってるのか
まわりが
閉じ込めてしまっているのか

そんな印象を分厚くまとっている「宍戸さん」でしたが。

「宍戸さん」自身も
お父上のアメリカ修業時代のつてでアメリカやイギリスに遊学し、
AsahiEveningNewsでエッセイを連載していたり、と
いろいろと感性も繊細なヒトで
あたしは彼女自身にも興味がありました。

頑固で融通がきかなくて我侭で非常識で偏屈で天の邪鬼で孤独。

というところにも
親近感を覚えました(笑)


あたしが通信社に勤めていた時
突然、広報が内線で『あなたのおばさんだというヒトがAsahiEveningから内廊下で入って来てますが知り合いですか?』とかけてきて
『おばさん?AsahiEvening? 誰?!』と思っているうちに

『お〜い、ras4!029.gif

なんと「宍戸さん」がうちの部の入口から頭だけだして手をふっていました(笑)

ありえない光景なので
部の同僚や上司がみんなたまげてました(笑)

当時は朝日新聞社ビルに間借りしていた通信社なので
一般のヒトはまず入ってこられない作りになっているのです。
AsahiEveningはたしかに隣接するビルですが、そこからも新聞社の受付や警備、通信社の受付デスク、といろいろ関門があるのです。

「宍戸さん」、
あたしの勤務先をきいて、突然、驚かせてやろうと思ったらしいです(笑)
ついでに、かつてエッセイを寄稿していた朝日イブニングニュースの編集室にも顔を出し、
その当時の彼女担当の編集者は皆、出世して朝日新聞社の編集委員になっていたので
そっちにも顔を出し、
いろいろ驚かせて楽しかった、と
その日、勤務が3時でおわったあたしを連れて東銀座の【更科】だったかで蕎麦を御馳走してくれました。

その蕎麦屋でも可笑しかったのは
「あんたはまだヒヨッ子だからザル。アタシは違うからこっち」
と自分は海苔つきの蕎麦を注文しちゃうところ。
問答無用(笑)
そしてツユは辛い方。これは「宍戸さん」が好きなのは辛い方だから。

ある日、ひとりで「宍戸さん」宅に用事で行ったことがあります。
砧の鬱蒼とした緑に沈むお屋敷ばかりの一角に
森か林か、竹林か、といわんばかりに生い茂る木々のなかに
埋もれるような
朽ちかけてみえる平屋。
いや、もう事実朽ちかけてます。少しこわい(笑)
むかいは吉田茂の屋敷だよ、と声を潜めて言う「宍戸さん」。
吉田茂、って元首相の?!

その日、帰る支度をするあたしに「宍戸さん」は
奥のほうからごそごそと
ぴかぴか光る靴をたくさん出して来ました。
だいたい本革エナメルのイタリア製の靴。
ヨーロッパ遊学しながらエッセイを寄稿する、優雅な若かりし頃に買った靴なんだそうです。
気に入って買ったけど
日本じゃあまり履く気分にならなかった、とか。
あたしの足を見て、
日本の靴が合わずに苦労した「宍戸さん」ぴんときたんだそうです。
おんなじ足だ、って(笑)

たしかにサイズがぴったりだし、形も同じでした。
幅が細くて甲が薄くてお母さん指が一番長い。
しかし残念なことに
「宍戸さん」がくれた靴は
「宍戸さん」が選んだ靴らしく強烈だったので
せっかくぴったりだったけれど、なかなか履けませんでしたが(笑)

四枚花弁のある花飾りのついた靴はその花が気に食わないといって、
上下2枚の花びらが鋏でチョキンと切り取られ
『左右2枚の花びらで、リボンのように見えるかと思ったら見えなかった、アハハ。
ras4が履いたら、きっとリボンに見える。』
いいえ、
あたしが履いても上下の花びらを切り取られた花のついた靴にしか
見えません(笑)


突然そうやって御馳走してくれたり、物をくれたり、というのは
「宍戸さん」の行動としては珍しいらしく周りには驚かれましたが
あたしは心の中で
『「宍戸さん」もあたしと似た者同士だと思ってるんじゃないかな、
あたしが彼女を好きなのをわかってるからじゃないかな』
と密かにつぶやいたものです。

「宍戸さん」晩年は病気で入院したりでしたが
あの性格なので追い出されたり、飛び出たり、
あたしも手伝おうといったんですが
小さい子連れじゃ無理!と
父の妹が介護、看護は一身に引き受けてくれて、

「宍戸さん」、そのまま亡くなりました。

あたしは
ちょっと洗練されたセンスをもちながら
やんちゃな少年のような口調でテレを隠し
どこまでも我侭に偏屈に周囲に迷惑をかけて強烈な想い出を残して行った
「宍戸さん」
愛すべき「宍戸さん」
 …宍戸さんのいいとこどりしかしてないあたしだけ?(笑)
いなくなって寂しいと思ってます。


献体登録していたのでまだお墓にいっていなかった父方の祖母も戻って来たので
今月末に
二人の入るお墓が両方ある雑司ヶ谷霊園で法事があります。
のびのびになっていた引越がとうとう本決まりになり
荷物の整理がてら古い写真や手紙も整理してます。
引越、これまた今月末です。
お義母さんのルーツである日本の離れ小島を訪ねる旅を予定しています。
これもまた今月末です。
そんなわけでなんとなく自分のルーツについて思うことの多い今日この頃です。
[PR]
by ras4love | 2009-06-10 12:00 | 好き | Comments(13)